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カナダ・アラスカ沿岸水路  (バートレット・コーブ〜プリンス・ルパート)

 

 

 

 

日記

宿泊地

(航行距離)

8月22日(月)

カヤックをロッジまで背負って歩いていると、重そうな荷物を見て老夫婦がすれ違いざまに声をかけてくれる。ホント、ひどい雨だよね。

 

 

シャトルバスでグスタバス港まで行き、週2便あるフェリーに乗り込む。

フェリーがジュノーに向けて動き始め、カヤックよりは断然速いけれども、ゆっくりとしたスピードで数日前に漕いだ海を戻って行く。窓の外ではクジラとイルカの姿が見え、雨も上がり、グレイシャー・ベイから遠ざかるに連れて天候が良くなってきた。

船内を歩いていると、声をかけて来たのは一昨日、ランドリーで会った女性。

「私の夫がさっきあなたを見かけたって・・・昨日、シャワー室に靴下を忘れた男の人がいたでしょう? あれが私の旦那」

 

 

オーク湾のフェリー乗り場に到着し、次に乗るフェリーのチケットを買う。出発が明日の早朝だし、周りには何もないので、フェリーターミナルで夜を過ごす事にする。

自分と同じ考えの人も他に3人いるようで、先程のフェリーからカヤックを持って出てきた2人、ケンとミッシェルはシトカからフーナまで外洋を通りながら5週間のシーカヤック旅を終え、アメリカ本土に帰る途中だという。

「あなたの方がすごいわ」

「でも、こっちは内海ばかりだったし、外洋は大変だったでしょ」

“まぁ、ねぇ・・”と顔を見合わせている2人の表情が、その旅の厳しさを語っているように見えた。

Auke Bay

8月23日(火)

4時頃から皆ゴソゴソと起き始め、荷物をまとめている。どうやら、もう船が着いたようだ。

大きなフェリーに乗り込むと、まずは船内をくまなく歩き回り、朝昼とゆっくりできる所を探す。日本のフェリーみたいに二等室のザコ寝区域が無いので、人が至るところで寝ており、シアター室では映画が始まるようで、若者達が荷物を片付けて撤収している。

 

チャタム海峡を南下した船は、バラノフ島とチチャゴフ島の間にある狭い水路を通り、展望室から見える数字の書かれた標識の数々。まるで迷路のようである。

 

引っ越し中

 

シトカに到着してユースホステルに行くと、18時にならないとホステルは開かないそうなので、荷物をその辺に置いてシトカの町を歩くけど、けっこう小さな町で、退屈せずに3日間を過ごせるのか心配になってきた。

 

街中の風景に溶け込んでいるホステルは、2階の大広間が男性部屋になっていて、今日泊まるのは3人だけ。車でアメリカにある全ての州を訪ねながら旅をしているティエヌとシトカ近辺をこれから5日間ほどカヤックで旅をするというドイツから来たアレックス。

小さなロビーに人が集まって、とても和やかな雰囲気がホステル内に流れている。ギターが2つ置かれていて、スタッフのニックといっしょに弾きながら、シトカの夜が更けてゆく。

Sitka

8月24日(水)

このホステルは10時から18時まで鍵が閉められて、中に居ることはできないので、強制的に街へ出かける。昨日のうちに決めておいたインディアン・リバー・トレイルに行くことにする。ホステルから近いし、何よりガイドブックに“簡単”で“距離が短い”と書いてあったからだ。

 

遡上中のサケがたくさん泳いでいる川沿いの山道を歩く。最初は何人かとすれ違ったが、奥に行くに連れて道には水たまりが増え、泥でぬかるみ、草の中を分け入り、雨の為に滝のようになっている上り坂もあり、これのどこが“簡単”なのだろう。

 

 

 

 トレイルの最後に待っていたのは大きな滝であった 

 

帰りは下りが主だし、道の状態も分かっているので、考え事をしつつ視線を足元に落として歩いていたら、急に黒い物体が視野に入り、右前方を見ると黒熊が茂みの中に1頭いて、両足で立ちながら頭上の赤い実を必死で取ろうとしている。2m以上の大きさがあり、すごい迫力だ。熊はこちらに気付いておらず、写真を撮ろうと鞄をゴソゴソとしていたら、物音に気付いて逃げていった。

それからは熊に気をつけながら、周りをしっかりと見て歩くことにする。

 

 かつてロシア領アメリカの首都(〜1867年)、 

アラスカ準州の州都(〜1906年)として栄えたシトカ

 

「ミノル、窓を開けたほうがいいんじゃないのか?」

ホステルのキッチンで夕食を作っていると、アレックスが窓を一つ一つ開けながら言ってきて、目の前にあるフライパンで焼かれている肉からは、もうもうと煙が立ち、いつの間にか部屋全体に充満していた。

 

 火災報知器を鳴らした焼肉ディナー 

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8月25日(木)

街の繁華街はこの2日でだいたい見歩いたし、せっかく船を持っているので、シトカの海に出ることにする。公園でカヤックを組み立てていると、小さな女の子を連れた女性がやって来て、

「私のカヤックは車に乗せて運ぶのだけど、あなたのは背負えるのね」

カヤックという乗り物が本当にアラスカでは一般的なのだなと、人々と会話をしていて感じる。

 

 持っていくのは最低限の荷物だけ 

 

 

出航。港を出ると風があり、少し大変そうだ。海図も無いし、適当に沖に浮かんでいる島々に向かって漕ぐ。カヤック内に荷物が入っていないので安定性は悪いけれど、船が軽くて進みは良い。

 

 

 

18時にホステルに戻ると、ロビーに居るのは昨日・一昨日と同じ顔ぶれ。どうもシトカとジュノーをほぼ毎日往復している高速フェリーが故障してしまい、足止め状態なのだという。数日前、リン運河を爆走していく高速フェリーを間近で見ていた時に、あの飛ばしようだといつか壊れるな、と感じたことを思い出した。

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8月26日(金)

「いやぁ、降るねぇ」

傘をささずにずぶ濡れ姿で歩いて行くおじさん。

ホステルから3kmほどの距離にあるマウント・ヴァースタビア・トレイルは、ロープを使って登る箇所や崖スレスレを通る所もあり、雨にぬかるんだ道にも気をつけながら登って行く。霧に覆われた山道を休み休みで歩き、見晴らしが良いという山の“肩口”の部分に到着。

 

 

 

 標高777mからシトカの町を見下ろす 

 

ホステルに戻り、今夜出航するフェリーの時間が来るまで待たせてもらう。他に3人の旅行者も乗船するそうで、一度ピーターズバーグまで南下して、そこで北行きのフェリーに乗り換える方が早くジュノーに着くという。明日の朝に飛行機でジュノーに向かう人もいるし、高速フェリーの故障でみんな旅の予定が狂いまくりである。

「でもね、シトカに来て本当に良かった」

アメリカ本土から来ている女の子は笑顔で言った。

 

かつての繁栄を疑いたくなるような寂しげな港町。このような所までやって来た旅行者たち、居心地の良いホステルの気さくなスタッフの方々、そして曇天模様の霧の中で落ち着いた時間を刻んでいるこの街が私も好きである。

 

 掃除当番表。時間があったので台所以外もきれいにした 

 

ティエヌの車に乗り込み、助手席から暗闇に包まれた街を見つめながら、シトカに別れを告げた。

Ferry Taku

8月27日(土)

朝起きた時にはフェリーはチャタム海峡に入っていて、9時頃に人口500ほどのインディアンの村、ケイクに到着。

「ケェイック、クラゥディ」

とラジオでよく聴いていたので、ほんの少し思い入れのある村。停泊する時間が短いので船の上から村を見渡す。閑散としている岸壁から誰か家族に対してだろうか、手を振った後で、“これも持ってけーっ”といった感じでゴミを船に向かって投げようとしている笑顔の男性。船での別れは、そのゆっくりさが良い。

 

 ケイク 

 

ピーターズバーグでジュノーに向かう旅行者たちとお別れをして、船はランゲル瀬戸を南下してゆく。とても狭い水路の両岸からフェリーに向かい手を振ってくる人々。

 

 ピーターズバーグ 

 

豪雨の降るランゲルの街。船上ではしゃぎ回り、手を大きく振りながら声を上げている人がいて、それに答えている陸で見送る人。家族だろうか? 友人だろうか? 恋人だろうか?

フェリーは定刻通りに港をゆっくりと離れ、再び南へ走り始めた。

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8月28日(日)

夜中1時半、時間通りにフェリーはケチカンに到着し、外に出ると嵐のような雨である。ターミナルの隅にマットレスを敷き、寝袋に入り朝を待つ。

明け方、フェリーが着いたようでターミナルに人が集まり始め、荷物をまとめて朝食を取る。ラジオを聴くと、低気圧が通過中らしく、海上はどこも“ワーニング(警報)”であった。

今日は海に出るのはやめて、一泊するためにホステルへと向かうことにする。

 

ケチカンに再び戻って来たのは、以前フェリーを使わざるを得なかったプリンス・ルパートとケチカンの間をカヤックで旅をする為である。

「時間があったらケチカンに戻るかもしれない」

と旅の途中で出会う人に言い続けてきたけれど、その通りになったわけだ。

 

これまで、“どこから来たの”話になった時、バンクーバーから来たことを言うと同時に、ビザが無くて途中でフェリーを使ったと話していた。会話の種としては面白くて良かったのだが、説明するのが面倒になったので、バンクーバーからグレイシャー・ベイまで一本の航路を繋げる必要があった。それに、国境付近はディクソン・エントランスという沿岸水路で数少ない難所の一つで挑戦のしがいがあるし、カヤックで国境を越える経験はなかなかできるものではない。そして、決め手となった最大の理由は、アメリカにカヤックで入るのにビザは必要だが、カナダに入る際にはビザが要らないのである。

 

ホステルに着くと管理人のダルさんはやはり居らず、荷物を置こうと男性部屋に入るとそこには3人の眠っている女性がいて、おそらく夜中にフェリーが着いたのだろう。

 

 ケチカン名物・大型豪華客船 

 

買い出しから帰るとダルさんは戻って来ていて、以前と同じ様にぶっきらぼうに話してくる。

「男性部屋で寝ていた女性3人を知らないか? あいつら、金を払わないで出て行きやがった」

あんたがどっかに行っているからでしょうがと思いつつ、台所に置かれてあったお金の存在を教えてあげる。

 

まだ20時なのに、すっかり暗くなってしまった窓の外を見て驚く。日照時間がずいぶん短くなったなぁ。

Ketchikan

8月29日(月)

午後から潮流が良くなるので、それに合わせてカヤックを組み立てる。もうこの旅4回目の造船作業になるし、あっという間に完成。

 

 

再びお世話になったサウスイースト・シーカヤックスさん

 

出発。まだ逆潮の為に進みは悪く、向かい風により船が後ろへと流されている。

時間が経つに連れて追い潮へと変わり、向かい風の中でもスイスイと進むカヤック。自然に従う旅に戻ってきたことを改めて体感する。

 

 トンガス瀬戸 

Cone Pt 近く

(26km)

8月30日(火)

 船を岸辺へと運ぶ 

 

上げ潮による逆潮で、しかも向かい風と条件は悪いが進みは程ほど。見かける船の数は少なく、沖合を進んでいる一艘のヨットと正面で泳いでいるザトウクジラを追いかけながら、結局追いつかず。

 

右前方は海が開けており、ディクソン・エントランスが近づいてきた。少しずつ海上に“うねり”が出てきているのもそのせいだろう。左手の陸地は海岸まで木々が押し寄せている、これまで通りの風景が続いている。

 

午後3時頃から潮の流れが良くなり、向かい風でも簡単に前へと船が進む。まだ時間に余裕はあるのだが、キャンプには丁度良い感じ(テントを張れる平らな場所があり、満潮時に海に浸からない)の島があったので上陸して、荷物を上げる。

離れ小島はクマの心配が要らないのがいい。

 

 

 潮の満ち引きは辺りの風景を一変させる 

 

Foggy Bay

(38.5km)

8月31日(水)

午後から風が強くなるそうなので、昨日より早い7時過ぎに海に出ると、昨日見たヨットと優雅に泳ぐクジラの姿があり、みんな早起きである。

 

 まさに、霧(フォギー)湾 

 

フォギー湾を抜けると霧は見事に晴れ、海上に見え始めたのは数多くの漁船。国境付近は静かなものだと思っていたけれど、この辺りは良い漁場のようだ。

 

「フォーーッ」

大きな声を出しながら、こちらに手を振っているのは若いインディアンの漁師。彼の引き揚げている網にはサケがたくさん掛かっているし、変な奴が近くを通ったしで、すごい笑顔の彼。

 

東へ進路が変わると、追い潮と西風が加わって、すごいスピードで海の上を走るカヤック。波は次第に高くなり、白波が後方から次々と押し寄せてくる。前方には入り江に逃げ込もうとしているクルーザーが1隻見え、自分も島々の間にある水路へと急ぐ。

 

国境。写真の右半分がアメリカ、左側がカナダ領

 

国境上を漕ぎながら、今夜をアラスカとカナダのどちらで過ごそうかと考えていたのだが、西風に強く押され、カナダに入国。

ウェールズ島の沖にある小さな島に上陸し、今日も満潮とクマの心配が必要なさそうだ。

遠くには国境に一番近いカナダの町であるポート・シンプソンらしきものが見え、カヤックの旅もいよいよ残り少なくなってきた。

Proctor

Island

(43km)

9月1日(木)

停滞。西から35メートルの風が吹けば、この海域はダメである。

 

時折日が差すけれども、基本曇りの雨。

午後から潮位が上がり始め、穏やかだった目の前の海にも白波が立ち、波が岸辺に激しく打ち寄せてくる。

 

アザラシが1頭、ヒョコッと海面から頭を出し、荒れる海へと消えてゆく。

 

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9月2日(金)

天気予報を聴くと、午後から風が強くなるそうなので、6時半にはもう海の上に出る。

 

南風と逆潮の中、この旅最後の横断に入る。対岸まで10kmあまり、南からの風が波を作り、どんより空が不安をあおる。後ろを振り返ると陸地が遠のいた気がせず、パドルを回す体にも力が入る。

 

 

前方に見えていた山々がゆっくりと大きくなってくる。南東からの風なので、対岸に着くと海は凪いでおり、これでディクソン・エントランスも漕ぎ終えたようだ。

漁船もたくさん出ており、“よく来たな”と漁師がこちらに向かい手を振っている。

湾内で近づいてくるクジラ。

アザラシたちの溜まり場になっている岩礁の近くを通ると、必死で海の中へと逃げる彼ら。逃げ遅れたアザラシが岩場で頭をぶつけていて、あれは痛そうだ。

 

Ryan Pt

(42.5km)

9月3日(土)

国境に近いため、カナダとアラスカの天気予報を両方聴くことができ、たどたどしく話すカナダ側の放送も、ラッパー並みに早口でしゃべるアメリカ側の男性の声を拝聴するのもこれで終わりかと、船旅の最後を思う。

 

 

強い南風。周辺の海には警報が出ているが、残りは島々に守られている所を漕ぐだけなので、海に出るのに問題はなく、出航。

 

 プリンス・ルパートの町が見えてきた 

 

 プリンス・ルパート港 カウ・ベイ着 

 

カナダに入国して町に着いたら税関に報告するように言われていたので、電話で入国したことを伝え、港で待つこと30分。やって来たのは黒の制服(防弾チョッキ?)と黒い大きな鞄が何とも威圧感がある2人の男性。

「ケチカンから6日か・・なかなかのペースだ」

カヤックで来たことに興味津々のようで、取り調べも和やかに進む。

何か武器を持っているのかと聴かれたので、“ベア・スプレー”と答えると、

「なにっ! ベア・スプレー! こんなんか?」

と、消火器サイズに手を広げたので、「ノーノー」と言いつつ彼の手を狭めていく。

電話で大方の情報は伝えておいたので2人との時間はすぐに終わり、“Report Number(報告番号)”という小さな紙をもらって、正式にカナダに入国。

 

 使わずに済んだクマよけスプレー(1%増量) 

 

カヤックを片付け、これで海旅が終わる。

沿岸水路を漕ぎきったという達成感は無かった。まだ旅は続いているのだから。ただ、もう頭のどこかにクマの存在を意識して過ごす地上での日々と、海難という事態を頭の片隅に置きながら過ごす海上での日々がなくなるという事に、一つの大きな区切りがついたなと思うと共に、安堵の気持ちが体全体を包んでいた。

 

 航行距離(ケチカン〜プリンス・ルパート):163km

 


 

  バンクーバー〜グレイシャー・ベイ

 

航行距離:1866km

日数:78日

航行日数:56日

一日最長移動距離:54.5km

一日最短移動距離:0.5km

一日平均移動距離:33.3km

使用した海図:28枚

使用した潮汐(流)表:5冊

白ガソリン(調理用)使用量:2L

Prince

Rupert

(13km)